650年前に、日本人によって作られた歌舞劇 能。 能は、骨董品的な価値ではなく、時代時代の人々に愛好され、持て囃され、受け継がれてきた。 そして現代に於いても、多くの感動をもたらせてくれる。 そこには、日本人の素晴らしい感性が、詰まっている。 国際交流を強いられる若者にとって、ツールとしての言語力だけではなく、 中身の根本となる、日本人としてのアイデンティティーを備える事が肝要である。 確りとした土台がなければ、羽ばたくことは出来ない。 多くの日本文化の中でも、本物に触れることが大事、 能は最もふさわしいと思う。 下平 克宏 |
年代は問いませんが、年齢に応じた触れ方があると思います。例えば幼稚園生なら遊びの中に取り入れるとか、小学生なら遊びの中にも段々理論的なものを入れるとか、中学生になれば考え方が大人と一緒なので遊びというよりはお稽古事として進んでいくとか、年代に応じた稽古の方法を工夫すると、よろしいかと思います。
残念ながら、日常ではほとんどありません。たとえば、お座りをしてご挨拶する習慣は普段やらないので、日本人の古い礼儀作法というものはある意味新鮮かもしれませんね。正座は洋風な生活ではほとんどありませんが、日本文化の基本的な姿勢は正座なんです。茶道や書道、お琴や三味線でも、あるいは武道でもご挨拶の時は必ず正座しますよね。日本人の基本的なスタイルなので、まずその肝心要のスタイルを覚えてもらっています。また長時間でなく短い時間でも稽古事に集中することが大事なので、10分なら10分と決めることで精神力も高まり良いことなのではないかと思います。
そうですね。例えば家に上がるときには靴を揃えろとか、ハサミを渡すときには刃から渡すなとか、昔だったら当たり前だったことが今の子供達はできないんですね。なぜできないかといえば大人から教えられていないからできないんです。ですから短い授業の中でもそういう事に触れていけたらなと思っています。日本文化に触れることは礼儀や作法を学ぶひとつの手がかりだと思います。
まさに能は体や声をフルに使って表現していくものですので、自分の普段使ったことのない部分を使い、隅々の感性を呼び覚ましていくというような感じですよね。声の大きさは、がなりたてればよいものではなく、かといって小さくても駄目なので、羞恥心を捨て自分の世界を表現できるようになればよいと思います。
底の浅いものを子どもたちに提供しても駄目なんですよね。底の浅いものは裏が見えてしまう、底の深いものの方が探究心を探っていくことができるので、子どもの中には興味が生まれます。もっともっと知りたいという子が出てきた場合に底の浅いものでは対応できません。そういう意味で能は大変深いものですし、右も左も分からないような子どもから教えていくという指導スタイルから、玄人用の厳しい指導スタイルもあり様々な指導方法があります。一番はその子に応じた教え方ができるので、型にはまった教え方ではなく状況に応じて子どもたちが反応したところを攻めていったり、子どもたちの様子を見ながら進めていく事を出来るのが指導のポイントですよね。
そうですね。控えめなのは日本人の国民性で良い所だと思いますが、海外で外国人と対峙するときにはそれでは伝わらないですよね。子どもたちが海外へ出て、日本ってどんな国なのですかと聞かれた際に、僕は能という日本の古典芸能を稽古したので見てくださいと皆の前で舞ってみせるとか、難しいことを言わなくてもこれが日本人なんですというのが、ひとつのコミュニケーションだと思うんです。
アマチュアの方は自分が習ったことを専門に指導するのに対して、第一線で活躍している人は実際に舞台に立っている長年の経験から、テクニックを伝えるだけではなく、少しでも能の良さに触れてもらいたいという気持ちが根幹にあるんです。実際にプロの指導者が生の声で伝え、生徒たちとコミュニケーションを取りながら関係性を築いていくということに意味があると思います。多くのことを網羅して理解するのではなく、練習を重ね、一年間を通してひとつの練習の成果を形にすることで、子供達の自分なりの面白さとやりがいを見出すことができ、能に対する興味、ひいては日本文化への興味を持つことに繋がります。